この記事は、
・やっぱり俳優って嘘をつくのも上手いの?
・演技って上手くウソをつくこと?
こんな疑問をお持ちの方に向けて書いていきます。
この記事を読むとこんなことがわかります。
①演技と嘘の違い
②演技が上手い俳優が本当に得意なこと
どうも俳優をやっていますヒロユキです。
今年で俳優歴13年目。事務所に所属していないこともあり大きい作品には出ていませんが、それでもTVドラマ、映画、舞台、ラジオドラマ(製作、脚本、主演)など色々な媒体に出演してきました。
また、この13年間「演技とは」ということを考え続けてきました。その間にスタニスラフスキーシステム、リーストラスバーグメソッド、マイケルチェーホフテクニークなど様々な海外の演技論も学び身体に落としてきました。
さてこの記事では、「演技が上手い俳優はウソをつくのも上手いのか」について答えていきます。
いきなり結論から言いましょう。
演技の上手さと嘘の上手さは全く関係ありません。
世間ではどうやら「どれだけそれっぽく見えるか」が演技の上手さの判断基準とされているようです。
youtubeやtiktokで流行った演技力すとぷり面接や、演技力じゃがりこ面接、
ボードゲームの「はぁって言うゲーム」、
そしてたくさんのバラエティ番組で、すぐにそれっぽく振舞えることを演技力として扱っています。
だから視聴者も、「本物のようにみせることが上手い=演技が上手い」のだと思い、それが転じて、演技が上手い俳優は嘘をつくのも上手いのではないか?
という考えにいたるのでしょう。
でもそれは、本来の演技の姿からは遠くかけ離れています。
むしろ演技をやっていて実感するのは、俳優ほど嘘を嫌う職業もないのではないかということ。
実際の演技の姿は、世間一般で考えられているものの真逆に近いです。
僕もこの世界に入ってから色々知りました。
この記事では演技と嘘について、そして俳優を続けていくうちに磨かれていく本当の能力についてお話ししていきます。
演技と嘘について
この項の主題はこれです。
演技とは上手くウソをつくことではない。むしろ全くウソがないことが本当の演技だ。
そして、ウソをなくしていく過程を役作りと言う。
演技は、あなたもご存知の通り、最初は脚本を読むことからスタートします。
この段階では、役は、脚本上とキャスト・スタッフの頭の中にしかありません。
それを観客や視聴者にも見えるように、内面(心)や外面(動き・しゃべり方)を作っていくのが役作りと呼ばれる作業です。
だから演技が虚構(創作物)から生まれるのは、確かにその通り。
でも俳優は、最後まで虚構のままでいいとは思っていません。
想像の中にしかいなかった役でも、本番では自分自身が役として感じて、その心のままに動きたい。
演出でこうなってるからとか、セリフがこうだからといった束縛から本当は脱出したいんです。
ウソから始まっているけども、俳優の身体と心を通して真実に変えて演じたい。
俳優の仕事を一言でまとめると、役として感じ役として行動することです。
その中身には、役の気持ちを代弁してあげたい、役の目的を代わりに叶えてあげたいという想いがある。
だから、俳優にとって一番大事な業務は、役の気持ちに共感することです。
理解じゃありません。共感です。
この役は、こういう気持ちだから〇〇な行動をしたんだ。
こんな過去があったから△△な考えになったんだ。
これはただの理解。
あくまで自分の役を他人事としか見ていません。
はっきり言ってこれでは演技ができません。
俳優に必要なのは、姿・形を持たない役の気持ちを代弁できるだけの共感です。
役の言いたいこと・悩み・欲望を自分ごとにする。
役の気持ちを吐き出すセリフを、自分ごととして言えるようになってはじめて、役の気持ちを心のまま語ることができます。
ただセリフを暗記してそれっぽく話すのとは、演技の質が全く違います。
これは映像でも舞台でも同じです。
しかし、想像の中にしかいなかった役の想いを自分のこととして感じて代弁することは、簡単なことではありません。
リアルな友達の悩みだって自分ごとにするのは難しいですよね。
理性をとる
演じる上でとくに難しいのは、俳優自身の理性をとることです。
俳優の理性や意識が残ったまま演じていたら、そこにいるのはいったい役なのか俳優なのか。
役の想いに突き動かされて演じるのではなく、俳優の理性で「次はあっちに移動して」「次のセリフは〇〇で」「相手のセリフが終わったら涙を流す」など考えながら演じてしまう。
これでは、リアルとかけ離れた嘘くさい演技になってしまいます。
この理性が強ければ強いほど、なかなか作品の世界に入ることができません。
理性とはつまり自分と他人を区別すること。
だから役を自分ごとにできないのです。
(だから、論理的な人よりボーっとしてる人の方が俳優には向いています)
そして、その演技を見ている観客もまた役の存在を信じ込めません。
俳優の〇〇さんが演じている△△という役としか見ることができない。
だからまずは理性を捨てる。(非常に難しいけど)
そして、想像の世界(作品の世界)に浸る。
あなたの役がそこで成し遂げたいことを胸に持って、相手役の言動に正直に反応する。
演出もセリフも関係ない。
あなたも相手も役作り期間に作ってきたものを、本番でぶつけ合う。
こうやって物語上で起きていることをリアルに感じて、リアルな反応がそこで起こると、観ている人もその世界に没頭できます。
これがリアルな芝居の正体です。
一つの同じ夢の世界で、それぞれの俳優がそれぞれの役を持ち寄っておままごとしているような感じ。
実際には、当然演出やセリフがあるから作品として成り立つわけですが、それを組み入れてもちゃんと心がその場で動くように役者は訓練してから本番に臨みます。
全ては演技で嘘をつきたくないからです。
本当に演技が上手い俳優は、上で書いたようにどうすればそれっぽく見えるかなんて考えていません。
むしろ、どうすれば嘘をつかず真実の感情で演じられるかに情熱を傾けます。
満島ひかりさんや安藤サクラさんの演技を見てほしい。
本当に心が動きながら演じているので、当然演技もリアルです。
なのに、世間では演技の捉え方は全く逆。
短時間でそれっぽく見えることを演技として語られます。
TVでもネットでも、「泣き」の演技、「怒り」の演技、「受け」の演技などと言われていますが、こうやって分類すること自体が、演技はウソをつくことという認識を広げている気がします。
「今から泣きの演技しま~す」
とか、
「ここはしっかり受けの演技しよう」
と考えてしまうこと自体、俳優自身の理性が働きまくってますよね。
本当はこういう理性をとらなければいけないのに。
ちなみに、頭でっかちになって動けなくなってしまうのを防ぐために、あえて大げさにウソでやることはあります。
「感じてから動こう。まずは感じよう、感じよう、感じよう・・・」
これだとリアルさを求めすぎて、演技が小さく凝り固まってしまいます。
ウソをつくことを極端に怖がっている状態です。
それを防ぐために、練習ではあえてウソで大きくやって殻をぶっ壊す必要があります。
こういう刺激を入れないと生き生きとした演技になりません。
ただ、これはあくまで役作りのテクニックです。
本番中にウソでやっていいわけではありません。(の割には、プロでもそれっぽく見せるだけの演技の人も大勢います。残念なことです)
まとめると、世間では演技≒嘘というイメージがありますが、本来は演技はどれだけ嘘をつかずに想像の世界で生きられるかです。
この理解があれば、演技が上手ければ嘘をつくのも上手いんじゃないかという疑問は出てきません。
真逆ですからね。
創作の世界という虚構から始まっているからこそ、実際に演じる時はできるだけ真実でいたいという演技の姿が僕は美しいなと思います。
演技が上手い俳優が本当に得意なこと
さて、上手く嘘をつくことが俳優の能力ではないとしたら、一体俳優をやることで何が身につくのでしょうか。
僕は人の嘘を見破ることだと思います。
・・・うーん、これだけだとちょっと語弊がありますね。
取調官やメンタリストのように、人の些細な仕草から心理学を使って心を読み取るのとは違います。
むしろ「違和感に気づく」の方が正解に近いです。
あなたもドラマや映画を観ていて、「嘘くさいなこの俳優」と思うことがあると思います。
「棒読みだなー」とか。
これのもっと細かい部分に気がつく感じ。
「なんでそんな動きするの?」
「セリフと身体の動きがなんかずれてる気がする」
「そんな言い方するか?」
映画、ドラマ、舞台どれを観ていても、出演している役者の動きの違和感にすぐに気がつきます。
「本当に心が動いていたら、そんな動きになるか?」というのが気になってしまうんですね。
せっかく面白い物語でも、この違和感が気になって楽しめないことが結構あります。
これはやはり、自分自身が日頃から心のままに演じられているか意識しているからだと思います。
もし心のままに動けていないなら、その演技は俳優の理性で考えて作られたものか、ただ動きの癖でやってしまっている可能性が高い。
だから自分の演技の違和感に気づく。それを消す。他の違和感に気づく。それも消す・・・
こんなことを役作りのたびに何度も何度も繰り返していくことで、自然と心と身体の連動具合に敏感になってきます。
こうした日々を送っていると、他の俳優や、俳優でない人の動きからも違和感が瞬時に感じられるようになってきます。
なんとなくつじつまが合っていない感じ。
これを、俳優の世界では「行動の線がずれている」と言います。
あなたもドラマなどを観ていて、この演技嘘くさいなぁ~ってあると思います。
どこがどうとは説明できないけど、なにかおかしい。なにかがずれている。リアルに見えない。
この「なにか」が行動の線です。
例えば映画を観ていて
『朝のラッシュ時に、改札の前で立ち止まって振り向く』
こんなシーンがあったら違和感を覚えますよね?
「いや、邪魔だろ」って。
正当化できる理由があればその演技も成立しますが、人ごみの中、改札の前で立ち止まって振り向くには相当な理由が必要です。
この場合の正しい行動の線は、人の邪魔にならない位置で振り向くか、改札を通り過ぎた後に振り向くです。
この例はパッと思いついただけなので、実際こんなシーンがあったとしたら多分演出側の問題ですが、なんとなく行動の線のニュアンスが通じ・・・ましたかね?
一言で言えば、「いや普通そんなことしないだろ!」ってツッコミたくなるところです。
日常生活なら当たり前に気がつくことに、なぜか芝居になると気がつかない。
この行動の線がずれてしまう理由は、単純に想像の世界に入れていないからです。
演出をしっかり守ること、セリフをしっかり話すこと、演技プランをキープすることに精いっぱいで、心が全く動いておらず、想像の世界(物語の世界)を信じられない。
こうなると、行動の線がずれていることに気がつかず、リアルな演技からどんどん離れていきます。
今度は実際の例から、もっと細かい行動の線を見ていきたいと思います。
韓国ドラマに「トッケビ」という作品があります。
うちの両親が好きで全話見ていました。
この物語の序盤で、ある子どもの母親がいなくなってしまうシーンがあります。
感動的なシーンで、子役の子も号泣していて、うちの父親がその子の演技を大絶賛していました。
でも、あれは嘘泣きです。
行動の線がずれています。
母親と話しながら泣きじゃくる子供。
この時からなんとなく違和感を感じていましたが、その後の、母親がいなくなった直後に病院から電話がかかってくるカット。
ここで、その違和感は確信に。
受話器をとる速度が早すぎる。
「いやいや、そんなの人によって違うだろ」
と思うかもしれません。
たしかに、人によって動きの機敏さ、受話器をとるスピードは違います。
でも、あの子役のそれまでの行動と心理状態から考えてあの受話器をとる反応速度はおかしい。
実物をお見せできないのでお伝えしずらいですが、俳優をやっていることで見極められる違和感ってこういう類のことです。
実際は解析するわけじゃないですよ?
「子役のそれまでの行動と心理状態から~~~」って。
いまはブログだからあえて説明しているだけです。
もっとざっくり「そうはならんだろ」って違和感に気がつく感じ。
あえて言葉にするとすれば、
さっきまで愛する母親がいなくなってしまって号泣していたのに、そんなに素早く気持ちを切り替えて受話器をとれるか?
ということ。
母親がいなくなった後に電話がかかってくることを知っていた以外には考えられない動きでした。
もちろん台本には書かれているのだから知っていて当然なんですが、演じているときに次の演出を意識してしまうのは良くない。
理性でどうすべきか判断して動いてしまっている。
別にその子役の演技をディスりたくてこういう話をしているわけじゃないですよ。
僕の父親を感動させるほど全く嘘くさくないシーンでも、同じ演技をしている者の目から見ると違和感が見つかることもあるという話でした。
蛇足ですが、違和感を感じさせない演技をするのは、簡単ではないですが単純です。
上の項で書いたように、役の想いを自分ごととして捉えて心のままに動けばいいんです。
心のままに動けば、心と身体が連動しているので、違和感が生まれるはずもありません。
まとめ
この記事では、演技と嘘の関係について話しました。
俳優を続けていくことによって身につく能力は、上手くウソをつくことではなくて、人の違和感に気がつけるようになることです。
心のまま演じられれば嘘くさくない演技になりますが、実際にやるのは至難の業。
観客の目、監督の指示、セリフ、体調、気分、ありとあらゆるものが、想像の世界に入るのを邪魔してきます。
それに感情が本番でちゃんと湧き上がるかどうかは確証がありません。
この業界で「感情は神様からの贈り物」と言われるくらいです。
当然、演じていて感情がこなかったら嘘で演じるしかありません。
「今、感情来なかったので撮りなおしてください」なんて言えないですからね。
こういうこともあるので、始めから感情には頼らずに、それっぽく見せる演技を追求する人もいます。
そしてそれでも実際に上手く見える人はいます。
でも僕は、創作物という虚構の世界で真実を追求するのが美しいなとやっぱり感じてしまいます。
なんかロックだなと(笑)
そして、トップレベルで活躍する俳優は100%自らの感情を動かして演じています。
ちなみに「日本人 演技」でググってみると、日本人の演技が下手だと感じている人が多いようですね。
大げさだとかやりすぎだとか。
これらは言い換えたら、身体と心が連動していないということ。
つまり、想像の世界に入れていない。心のままに動けていない。
面白おかしく演技してやろうという理性が働いているから、ちぐはぐ感があり下手に見えます。
日本の演技力全体を上げるには、まずこの演技と嘘の誤解をとくところから始めるべきだと思います。
日本人の演技については、別記事で詳しくまとめました。
良かったらこちらもご覧ください。
さて、僕のツイッターでは、ブログとは少し違ったテイストで演技や映画のつぶやきをしています。
ブログほど本腰を入れずに、秒速で読めてちょっとタメになるようなことをつぶやいています。
#シドアンドナンシー#ゲイリーオールドマン の出世作になるのかな?
— 俳優で旅人 ヒロユキ (@hir_o_o_o_o_) September 4, 2019
つーか、このキャラクターライゼーション(外的役作り)神でしょ!ここまで本人に似るか?
参考画像選ぶのも、あれ?これ本物?って迷った。
未見の人は、特に最後の方にシド(ゲイリー)が歌うマイウェイを聞いてほしい。#映画 pic.twitter.com/BTbxG2VpVK
演技力の要素の一つに「意識の方向」というのがある。日常生活と同じように、舞台上やカメラ前でも意識を向けることができるか。
— 俳優で旅人 ヒロユキ (@hir_o_o_o_o_) May 21, 2021
上手い俳優は皆できてる。
具体例を上げると、#ゴッドファーザー Ⅰのマイケルがトイレで銃を探してから撃つまでのシーン。
ここは意識がパッパッと入れ替わってる。 pic.twitter.com/OrH1gscvMw
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