この記事では、
演技とはなにか
について解説していきます。
タイトルからも想像がついていると思いますが、めちゃくちゃ硬派でストイックな演技に対する解釈を展開していきます。
間違っても、演技は「表情」「発声」「表現」であるなんてことは言いません。
これらは、俳優が目指すべき演技の本質を補佐するものにしか過ぎないからです。
ー自己紹介ー
どうも俳優をやっているヒロユキと言います。
僕は今年で俳優歴13年目になります。事務所に所属していないこともあり大きい作品には出ていませんが、それでもTVドラマ、映画、舞台、ラジオドラマ(製作、脚本、主演)など色々な媒体に出演してきました。
また、この13年間「演技とは」ということを考え続けてきました。その間にスタニスラフスキーシステム、リーストラスバーグメソッド、マイケルチェーホフテクニークなど様々な海外の演技論も学び身体に落としてきました。
それでは、演技の本質についてさっそく語っていきたいと思います。
演技とはなにか
演技とは、一言で言うと「役の存在を証明する行為」のことです。
それ以上でも以下でもありません。
役は、あなたが演じるまで脚本上にしかなく、また想像の中にしか存在できないものです。
役は、物語の中では、悩み苦しみ、壁にぶつかったり、愛をささやいたり、栄光を手につかんだりします。
ですが、僕らが住む現実世界では話すことも動くこともできないので、それを誰かに知ってもらうことができません。
そこで、俳優が依り代(よりしろ)となって、役の気持ちを代弁し、役の代わりに動くわけです。
そうして初めて、役の存在が世間に認知されます。
ただここで浮かぶ問題が「はたしてその役は僕らが住む現実世界に存在したいのか」ということです。
「現実世界に存在させてあげたい」というのは、ただのおせっかいなんじゃないかと。
僕の結論としては、ほとんどの場合ただのおせっかいです。
めちゃくちゃ出たがりで人に認められたい役でないかぎり「勝手に俺を演じないでくれよ」と思っているんだろうなと考えています。
ただ、俳優としては演じたい。演じるのが仕事ですからね。
そこで始まるのが役との交渉です。
「つたない演技力で申し訳ないけど、自分のもてるかぎりの技術と、あなた(役)に寄り添い続ける覚悟があるから、頼むから演じさせてくれ」
と交渉するわけです。
・・・交渉じゃないですね。お願いですね。
当然、役からすぐにOKが出ることはありません。
本番までの役作りの期間中のあなたの練習風景や真剣さを見てもらって、少しずつ役に認めてもらう必要があります。
とにかく、気持ちとしては「役を演じさせてもらう」です。
「なんだこいつスピリチュアルなやつだな」と思われたかもしれません。
実際はスピリチュアルとはほど遠い性格なんですが、今は置いておきます。
想像上の役に対してお願いし、役を演じさせてもらうというのにスピリチュアル臭を感じるのでしたら、ドキュメンタリー風の作品だと考えてみたらどうでしょう。
あなたが演じる役には、実際のモデルがいます。
その人の人生をあなたが代わりに演じるわけです。
そのモデルの方が生きているならもちろん、もし亡くなっているとしてもその家族の方はあなたの演技を見るかもしれません。
その家族の前で、亡くなった当人を演じるわけです。
そうすると、やっぱり湧き上がる感情は「演じさせてもらう」ではないでしょうか。
たとえば、「お前ってこういう性格だよな」って言われてイヤな気になったことありませんか?
「そんなことねえよ!そうじゃない部分だってあるよ!」って言い返したくなりますよね。
これって役も同じだと思うんです。
「この役はこういう性格だから」って決め打ちされたくない。
本当は性格も考えていることも俳優が理解しているのとは全く違うのかもしれない。
そんな理解してない俳優に、役だって自分を演じてもらいたいとは思わないはずです。
だからこそ、「役のことを真剣に考えて寄り添い続けるので、どうか演じさせてください」と許可をお願いする。
実際のモデルに「あなたの人生を映画にしたいです。僕が演じます」という話をしたら、その次に出てくる言葉はやっぱり
「あなたのことを真剣に考えて寄り添い続けるので、どうか演じさせてください」
になるはずです。
だったら、想像上の役に対しても同じようにするべきだと思うんです。
俳優とは
ところで、俳優はもともと「わざおぎ」と呼ばれていました。
わざおぎとは
身ぶり動作により神を招く意で,「俳優」の字をあてる。日本の芸能起源を示す語で,『古事記』『日本書紀』にみえる2つの芸能神話,つまり天岩屋戸の前で行なったアメノウズメノミコトの祈祷舞踊や,海幸・山幸の条にみえる模倣芸能に現れている。のちには舞踊家,芸能人を,さらには役者,演技者をさすようになり,一般に「はいゆう」と呼ばれるようになった。
出典:コトバンク
また「役者」は、能、狂言、歌舞伎が始まってから使われるようになった言葉のようです。
だから「俳優」という言葉の方が「役者」という言葉よりも先に生まれたんですね。
僕は現在に生きるほとんどの人と同様に、俳優と役者を同じ意味で使っていますが、俳優という文字は好きです。
なぜなら俳優という文字を分解すると、
「俳」人に非(あら)ざる者を
「優」人が憂(うれ)う
と書くから。
存在していないものを憂うことができるってすごい優しさじゃないですか?
生半可な愛と優しさじゃ俳優にはなれないんだと、僕は解釈しています。
想像の中にしかいない人物の心に寄り添い続けて、役の気持ちに共感していき、この地球という世界に出現させる。
俳優は本当に特殊な仕事だと思います。
正直、芸能界だとか、有名だとか、そんなもんどうでもいいんです。
本当にどうでもいい。
もっともっと役にとことん近づいていき、あなたが持つありとあらゆるものを使って役の存在を証明する。
想像の世界から、この現実世界に役の魂を出現させる。
俳優はこういう職人的な仕事なんだと思っています。
だから、俳優という職業は本当にすごいものだと思っているし、自分がそれをやれていることへの誇りもあります。
だから、よく巷で言われるなんとなくそれっぽく見せるものを演技だと言わないでほしい。
「すぐ泣ける」だとか「怒る演技が上手い」だとか、「表情」「発声」「表現」だとか、そんなの演技じゃないんですよ。
役を舞台上、カメラの前に存在させることだけに全てをかけるのが演技なんです。
表現とは
だいたい「表現」ってなんなんですか。
よく世間では「もっと表現して!」だの、「表現力がすごい!」だの言われます。
でも中身を作ってないのに表現って「いやいや一体なにを表してんの」って感じになりませんか?
もっと表現してって・・・「はい、じゃあ表現します」ってわけにはいかないでしょーよ。
一般に言われてる表現って、それただの嘘じゃん。
無いものをあるように見せてるだけじゃん。
こういった「表現」は、演技の本質とは真逆に位置してます。
演技に嘘なんてありません。
演じる役者の解釈によって役の真実は変わってくるけど、演じてるときは、その役として本当に感じて心が動くからセリフを言ったり、動いたりできるんです。
僕らが日常生活で、何かを感じてから動くのと同じです。
それを自分じゃない誰かとして、舞台上やカメラの前という特殊な環境でやるのが俳優の演技です。
当然、専門的で訓練を積まないとできません。
でも表現ってこういうことでしょ?
心が動いてないのにセリフだけ言うのなら、別に俳優じゃなくても誰でもできます。
ただ、やっぱり演技というのは人に見せるものでもあるから、役の存在を証明するだけでは、興行的には間違っているんですね。
だから僕はほとんど表現という言葉は使いませんが、もし使うとしたら最後の最後です。
役に愛を持って寄り添い続けて、完全に役の気持ちに共感できた後。
その後に、ようやく表現がきます。
興行的に上手くいくように。
舞台なら舞台なりの。
映画やドラマなら映像なりの。
だから、舞台演技とか映像演技とか言われますけど、そんなの最後の最後なんですよ。
役作りという根幹の部分においては全く変わりません。
「役の存在を証明するために、俳優の全てをかける」
これだけです。
最後の、それこそ「表現」のために舞台用か映像用かに分けられるくらいなもんです。
演技の道程
演技は、他のありとあらゆるものよりも入り口が狭いと思います。
誰でもできるけど、スタートラインにたどり着くまでに非常に時間がかかる。
演技初めて1年間でスタートラインにたどり着くことなんてほぼ無理です。
想像上の役の気持ちに共感するってそんなに簡単なことじゃない。
舞台上で、役として感じて動くってそんなに簡単なことじゃない。
自分じゃない人間としてノッて動くなんてさらに簡単なことじゃない。
カラオケやスポーツみたいに点数も出ないし。
目に見える技という技もない。
技術的には、極端にフィードバックが少ない仕事だと思います。
僕は、一番演技に近いのはお笑いなんじゃないかなと思っています。
どちらも、目に見える技という技はないし、M-1とかそういう場じゃなければ点数もつかないし。
舞台を降りて、町を歩いてたらただの人です。
ギターが弾けるわけでも、ボールを上手く操れるわけでもない。
自分が芸人だ、俳優だと証明するものを何も持っていない。
でも、長年努力を続けていたら、たしかに力はついています。
あなた自身も気づかないところに素人では絶対に太刀打ちできない力がついています。
演技力をつけるための演技テクニックはたくさん存在します。
僕らがやれるのは、それらの演技テクニックをコツコツ基礎練を繰り返し身につけ続けることだけです。
基礎練を繰り返して自らの演技力を磨いていっても、目に見える変化はほとんどないので、成長しているのかわからず悩んでしまう。
そんなときは僕のブログの色々な記事を読んでみてください。
このブログは、実際に僕が経験して役に立った演技テクニックだけを紹介しています。
このブログに書かれてる練習をこなすことで、僕は13年間俳優をやってきました。
あなたの練習方法に自信が無くなってきたらどうぞ他の記事も読んでみてください。
大事なこと
ここで大事なことを言います。
演技テクニックはいっぱいあるし、色々な演技論(メソッド演技とかスタニスラフスキーシステムとか)もあります。
僕が伝えられる演技の知識や練習方法は、余さずこのブログに書いています。
でも、本当に大事なのは「役への愛」と「演技への情熱」だけです。
この二つさえ、持ち続けてれば大丈夫。
演技って結局なに?な人へ
— 俳優で旅人 ヒロユキ (@hir_o_o_o_o_) June 8, 2021
演技力を構成する要素10選
①感情の強さ
②キャラクターの大きさ
③脚本を読み取る力
④想像を信じる力
⑤想像を信じ込む力
⑥本番で実力を発揮する力
⑦日常と同じ意識の方向
⑧衝動に従って動けるノリ
⑨演技への情熱
⑩役への愛
結局は情熱と愛だよ
愛してるぜベイビー pic.twitter.com/hyhcJb3UMJ
役への深い愛があれば、役を存在させるためにどれだけでも時間も労力も費やすことが出来ます。
演技への熱い情熱があれば、演技書も読むし、自主練もするし、足りないところはレッスンに通うしで、演技テクニックなんて後から勝手についてきます。
ほとんどの俳優が金銭的に苦しいはずで、人生を楽しむこと、例えば結婚だとか昇進だとか家庭を持つことだとか、そういうのを味わえないかもしれません。
でも、俳優が俳優でいるためには、「役への愛」と「演技への情熱」が全てです。
これがなかったら、演技なんてただただ辛いだけでしかない。
本当にそう思います。
・・・だから、
だからこそ、「売れる」ためには全く別の価値観を持つ必要があります。
演技さえできればいいのなら愛と情熱だけでいい。
でも売れたいのなら、世間の、資本主義のルールに沿う必要があります。
つまり、どうすれば自分の演技が金になるのかを真剣に考える必要があります。
「愛」と「情熱」という芸術枠は横に置いておいて、「売れる」「稼ぐ」は別軸で考える必要があります。
どうすれば、あなたの芸術性を損なわず、あなた自身を売っていくことが出来るのか。
演じることで生きていくことが出来るのか。
僕は、答えはマーケティング(売れる仕組みづくり)だと結論付けました。
そして、フリーランスの俳優として生きていく記事も書きました。
でも、違う方法もあるかもしれない。
僕はまだ思いついてないけど、他にも愛と情熱を捨てずに演技で食っていくことが出来る方法があるかもしれない。
どんな方法かわからないけど、俳優としてのあなたを曲げちゃいけないと思います。
なんとなくそれっぽく見えるという器用なだけのものに染まっちゃいけないと思います。
それは演技じゃない。
演技とは、役の存在を証明することです。
それ以上でも以下でもない。
さて、僕のツイッターでは、ブログとは少し違ったテイストで演技や映画のつぶやきをしています。
ブログほど本腰を入れずに、秒速で読めてちょっとタメになるようなことをつぶやいています。
#シドアンドナンシー#ゲイリーオールドマン の出世作になるのかな?
— 俳優で旅人 ヒロユキ (@hir_o_o_o_o_) September 4, 2019
つーか、このキャラクターライゼーション(外的役作り)神でしょ!ここまで本人に似るか?
参考画像選ぶのも、あれ?これ本物?って迷った。
未見の人は、特に最後の方にシド(ゲイリー)が歌うマイウェイを聞いてほしい。#映画 pic.twitter.com/BTbxG2VpVK
演技力の要素の一つに「意識の方向」というのがある。日常生活と同じように、舞台上やカメラ前でも意識を向けることができるか。
— 俳優で旅人 ヒロユキ (@hir_o_o_o_o_) May 21, 2021
上手い俳優は皆できてる。
具体例を上げると、#ゴッドファーザー Ⅰのマイケルがトイレで銃を探してから撃つまでのシーン。
ここは意識がパッパッと入れ替わってる。 pic.twitter.com/OrH1gscvMw
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